第1回 事業承継のきっかけ
50歳を過ぎ、自ら第三者承継に向けて一歩踏み出す

ものづくり企業の事業承継は、ある日突然、決断できるものではありません。
創業家としての思い、従業員への責任、取引先への供給責任、そして会社を将来どのように成長させていくのかという経営者としての問い。
それらが重なり合うなかで、オーナー経営者は「この会社を誰に、どのような形で託すべきか」という大きな判断に向き合うことになります。
本シリーズでは、2018年10月にセレンディップグループに参画した三井屋工業株式会社を事例に、ものづくり企業における事業承継の実際を振り返ります。
第1回となる本稿のテーマは、「事業承継のきっかけ」です。
5代目社長であった野口明生氏が、なぜ50歳を過ぎた段階で第三者承継を考え始めたのか。
そして、なぜ自ら先頭に立って承継に向けて動き出したのか。
その背景をたどることで、ものづくり企業のオーナー経営者が事業承継を考えるうえでの重要な視点が見えてきます。
三井屋工業株式会社とは
三井屋工業株式会社は、1947年に創業したものづくり企業です。
戦後の財閥解体により三井物産名古屋支店が分割され、そのうちの一つが「三井」に名古屋の「屋」を加え、「三井屋商店」と名付けられたことが社名の由来とされています。
現在は、自動車内外装品の製造を主な事業とし、トヨタ自動車株式会社、トヨタ紡織株式会社、トヨタ自動車東日本株式会社、トヨタ車体株式会社、林テレンプ株式会社など、自動車関連企業との取引を通じて、ものづくりの現場を支えてきました。
当時の会社概要は以下の通りです。
売上高:85億4,000万円(2019年度)
従業員数:277名(2020年3月末時点)
事業内容:自動車内外装品製造
主要取引先:トヨタ自動車株式会社、トヨタ紡織株式会社、トヨタ自動車東日本株式会社、トヨタ車体株式会社、林テレンプ株式会社 ほか

自動車産業のサプライチェーンを支える企業にとって、事業承継は単なる株主変更ではありません。
品質、納期、安定供給、取引先との信頼関係、従業員の雇用と技術の継承。
それらを途切れさせることなく、次の成長へつなげる必要があります。
19歳で父を亡くし、会社の将来を意識する
この事業承継の中心にいたのが、三井屋工業の5代目社長であった野口明生氏です。

三井屋工業の創業者は野口氏の叔父にあたり、2代目社長は野口氏の父でした。
しかし、野口氏が19歳のとき、父は48歳の若さで他界します。
あまりに早すぎる父との別れは、野口氏にとって、会社の将来を考える最初の大きなきっかけになりました。
「父の想いを引き継ぎたい。父が三井屋で何を思い、何を考えていたのかを、仕事を通じて知りたい」
そうした思いを抱きながらも、野口氏は大学卒業後すぐに三井屋工業へ入社したわけではありません。
東京の商社で経験を積んだ後、26歳で三井屋工業に入社しました。
その後、31歳で取締役となり、1998年、44歳で5代目社長に就任します。
若くして会社を背負う立場になった野口氏にとって、経営とは、単に会社を維持することではありませんでした。
父や創業家の思いを受け継ぎながら、会社をどう成長させるのか。
その問いに向き合い続けることが、経営者としての歩みだったといえます。
50歳を過ぎ、親族承継以外の選択肢を考え始める
野口氏が事業承継について具体的に考え始めたのは、50歳を過ぎた頃でした。
一般的に、事業承継の検討は、経営者の年齢や体力面の不安が顕在化してから始まることも少なくありません。
しかし、野口氏は比較的早い段階から、会社の将来を見据えて承継のあり方を考え始めていました。
親族に会社を継がせるという選択肢もありました。
しかし野口氏は、家族に対して、無理に会社を継いでほしいとは考えていませんでした。
家族もまた、次の世代には本人たちが望む道を歩んでほしいという考えを尊重していたといいます。
ここで重要なのは、第三者承継が「親族が継がないから仕方なく選ぶもの」ではなかったことです。
野口氏が重視していたのは、三井屋工業を将来どのような会社に成長させていくのか、という点でした。
生前の父も、三井屋工業を「野口家のもの」として守るのではなく、事業を引き継ぐ者として、会社を守り、成長させることを考えていたといいます。
その考え方は、野口氏が親族以外への事業承継を前向きに考えるうえで、大きな支えになりました。
「誰に売るか」ではなく、「誰に未来を託すか」
第三者承継を考え始めると、投資ファンドや金融機関など、さまざまな候補先との接点が生まれます。
野口氏のもとにも、投資ファンドからの接触や、金融機関を通じた紹介があったといいます。
しかし、すぐに「この相手なら任せられる」と感じる先が見つかったわけではありませんでした。
野口氏が求めていたのは、単に三井屋工業の企業価値を高める相手ではありません。
三井屋工業をこれからどのような会社に成長させていくのかを、真剣に考えてくれる相手でした。
ものづくり企業には、財務諸表だけでは測れない価値があります。
現場に蓄積された技術、従業員の経験、取引先との信頼関係、品質を守り続ける仕組み、地域に根差した企業としての存在意義。
これらを理解しないまま、短期的な視点だけで経営を変えてしまえば、会社が本来持っている強みを損なう可能性があります。
だからこそ、野口氏にとって事業承継先を選ぶことは、「誰に売るか」ではなく、「誰となら三井屋工業の未来をつくれるか」を見極めることでした。
この視点は、ものづくり企業の事業承継において極めて重要です。
自分が先頭に立つという覚悟
第三者承継を考え始めた当初、野口氏には迷いもありました。
自らが前面に立って動くべきなのか。
あるいは、当時の副社長に任せた方がよいのではないか。
そう考えた時期もあったといいます。
しかし最終的に野口氏は、創業一族として、そして現経営者として、自分自身が先頭に立って進めるべきだと考えるようになりました。
事業承継は、会社の未来を左右する大きな経営判断です。
特に、創業家が長年経営に関わってきた企業では、承継の進め方そのものが、従業員、取引先、株主に与える影響も大きくなります。
他人任せにするのではなく、自ら考え、自ら動き、自ら説明する。
その姿勢があったからこそ、その後の円滑な承継につながっていきました。
事業承継は、経営者にとって孤独な決断でもあります。
しかし、会社の将来に真正面から向き合い、自ら先頭に立つことで、関係者に対しても本気度が伝わります。
野口氏の事例は、事業承継において「経営者自身の覚悟」がいかに重要かを示しています。
早く考え始めたことが、選択肢を広げた
三井屋工業の事例から学べる大きなポイントは、野口氏が比較的早い段階から事業承継を考え始めたことです。
経営者の体力が落ちてから、あるいは後継者問題が差し迫ってから動き始めると、選択肢は限られます。
候補先を十分に見極める時間も、取引先や株主、従業員に丁寧に説明する時間も不足しがちです。
一方で、時間的な余裕があれば、承継先を慎重に探すことができます。
自社の強みや課題を整理し、どのような相手に託すべきかを考えることができます。
そして、経営者自身が納得したうえで、会社の未来を託すことができます。
野口氏が50歳を過ぎた頃から事業承継を考え始めたことは、単に早かったというだけではありません。
会社をどう成長させるかという目的を持ち、主体的に動き出した点に大きな意味があります。
事業承継は、会社の未来を考えることから始まる
事業承継という言葉には、「引退」や「後継者不在」といった受け身の印象がつきまとうことがあります。
しかし、三井屋工業の事例を見ると、事業承継は決して後ろ向きな選択ではありません。
むしろ、会社を次の成長へつなげるための前向きな経営判断です。
野口氏は、三井屋工業を単に残すことだけを考えたのではありません。
三井屋工業がこれからどのような会社として成長していくべきかを考え、そのためにふさわしい承継の形を探しました。
親族承継か、社内承継か、第三者承継か。
どの選択肢が正解かは、会社によって異なります。
大切なのは、会社の未来から逆算して、最もふさわしい形を考えることです。
三井屋工業の事例は、ものづくり企業のオーナー経営者に対して、ひとつの示唆を与えてくれます。
事業承継の第一歩は、「誰に継がせるか」を決めることではありません。
「この会社を、これからどのように成長させたいのか」を考えることです。
その問いに向き合ったとき、第三者承継は、会社を手放すための選択肢ではなく、会社の未来を広げるための選択肢になります。
三井屋工業がセレンディップグループに参画した背景には、こうした経営者としての意思と、会社の未来を見据えた判断がありました。
次回は、三井屋工業が実際に事業承継に向けてどのような準備を進めたのかを取り上げます。
事業承継を円滑に進めるためには、経営者の思いだけでなく、会社の現状を整理し、関係者との合意形成に向けた準備が欠かせません。
「事業承継の準備」という視点から、三井屋工業の歩みを見ていきます。